ソルファニャーノ憲章と(ウェブ)アクセシビリティ

ハイレベルなアクセシビリティ政策が一気に動き出す…かもしれないという話。

先月29日の第81回 障害者政策委員会 議事次第を眺めていたら飛び込んできたのが、タイトルにもあるソルファニャーノ憲章というもの。これは、先月のイタリアで行われたG7包摂と障害に関する担当大臣会合(イタリア・ソルファニャーノ)の成果文書です。オリジナルと内閣府による仮訳がPDFで提供されています。

概要は障害者政策委員会で配布されている1枚のPDFにまとまってます。大筋としては、

  • 障害者権利条約の完全実施に向けて、国際機関や民間セクター等と協力して取り組む
  • G7(主要国首脳会議)として包摂と障害(inclusion and disability)を継続的に議論していく

というものです。ソルファニャーノ憲章では、8つの優先事項を挙げており、優先事項2として「アクセスとアクセシビリティAccess and accessibility)」を挙げています。内約府仮訳を一部を引用してみましょう(マーカーは筆者による強調)*1

アクセシビリティは、ユニバーサルデザインのアプローチに従い、合理的配慮とともに、障害者が、日常生活のあらゆる側面へ平等にアクセスすることを確保するために、障壁を防ぎ、取り除くことを必要とする。こうした側面には、物理的及びデジタル環境を含み、公的空間、施設及びサービス環境、住居、交通手段、ウェブサイト、アプリ、ソフトウェア、人工知能等の新技術といった情報通信などが含まれる。

我々*2は、日常生活のあらゆる側面においてアクセシビリティ政策と合理的配慮を推進し整合させることにコミットし、これには、民間セクターによって提供される物品やサービスへのアクセスだけでなく、地方、都市、国内及び国際レベルでの移動、雇用、住宅、あらゆるレベルの教育、医療制度、特に交通や情報通信技術の利用可能性に留意した形での公共施設・サービスへのアクセスが含まれる。我々はまた、公共・民間セクターの双方において、物理的及びデジタルな空間を、誰にとってもアクセス可能にする*3ことの重要性を認識する。これには、学校、住宅、医療施設、職場に関するものを含め、通信、ウェブサイトや携帯端末サービスだけでなく、建物、道路、交通といった屋内外の施設やサービスが含まれる。そして、我々がそうすることで、障害者は社会の利益に貢献することができる。

我々のコミュニティをより強靭で持続可能かつ包摂的なものにするために、我々は、アクセシビリティへの要求を全ての関連する政策枠組みに組み込むことに向けて努力することにコミットし、アクセシビリティが後回しに扱われるのではなく、むしろ横断的に計画と開発の基本的な要素として扱うことを確保する。我々は、製品やサービス・インフラの設計、開発及び製造の初期段階からアクセシビリティを推進することにコミットし、障害者関係者がプロセスの最初から関与できるようにしていく。我々は、障害者のためのアクセシビリティ要件を通じて、我々の国家間の移動を円滑化するための行動を奨励する。

(中略)

アクセシビリティに関する規制枠組みの実施を促進するため、我々は、アクセシビリティのベストプラクティスの認知度向上、特定の技術的専門知識の普及アクセシビリティへのアプローチの更なる発展に必要な監視・評価ツールの開発促進のために、その代表する団体を通して障害者との協力を強化することにコミットする。

という具合です。日本ではどうにも建物等のバリアフリーと、ウェブ(を含む情報分野の)アクセシビリティが離れてしまっているように筆者の目には見えますが、「アクセスとアクセシビリティ」というひとまとまりにされていることに改めて目を向けるべきではないか、と思っています。

ちなみに優先事項1の「全ての国の政治的アジェンダにおける優先課題としての包摂」では、

効果的な包摂を達成するためには、全ての利害関係者が参加する、包括的かつ協力的なアプローチが必要である。全ての利害関係者とは、障害者、これを代表する障害当事者団体、市民社会組織、第三セクター組織に加え、特にあらゆるレベルの政府、コミュニティ、産業界、民間セクター、学術界、社会を指す。

とあって、産業界、つまるところウェブアクセシビリティが技術的にわかっている関係者が政策に関与する必要がある、ということを示唆するものと解釈できるかと。もしかしたら、ウェブアクセシビリティ基盤委員会(WAIC)にさらなる役割が将来的に求められることになる…のかもしれません。

ちなみに、日本からこの会合に参加したのは三原大臣ですが、三原大臣記者会見(令和6年10月25日)ではソルファニャーノ憲章に関わる政策についての記者からの質問は特に出てこず、社会的な関心の低さがうかがわれるのは残念ではあります。まあ、こども家庭庁での記者会見ということも影響しているのかもしれませんが。

最後に、ソルファニャーノ憲章の結語の一節を引用して、この記事の締めくくりとしましょう。

我々は、「ソルファニャーノ憲章」の優先事項を具体的な行動に移し、G7で実現する決意である。

*1:そのまま引用するのではなく、一箇所だけ改変してます

*2:ここでいう我々は、障害者と包摂に関する事項を担当する大臣のこと

*3:原文はaccessible。仮訳では「利用しやすくする」としているがそれだと原文が十分くみ取れないのでは?

「善意」のウェブアクセシビリティ

今月の頭にGood Will or Genuine Effort? The True Motivations Behind Accessibility Compliance – Barrier Free Canadaという記事を@caztcha@fedibird.comがトゥートしてたのが目に留まったので、これについて少し書きましたというお話。

この記事にはカナダ固有のことが書かれているわけでもないのですが、カナダの法律の現状を少し見ておきましょう。

W3C WAIのWeb Accessibility Laws & Policies曰く、カナダにはThe Accessible Canada Act (The Act to Ensure a Barrier Free Canada)という法律が、政府と連邦政府の規制部門(Government and all federally regulated agencies)を対象にしているそうです。カナダ政府公式の概説としてはSummary of the Accessible Canada Actがあり、Applicationのセクションの説明では、銀行、運輸、放送通信の民間部門が対象になっているということです。

技術的な観点では、SiteimproveWhat is The Accessible Canada Act?がわかりやすいかもしれません。What are the web accessibility requirements under the ACA?のセクションでは、欧州規格EN 301 549を採用する、つまるところWCAG 2.1を直接参照しているということになります。

細かいところについては、ここでは見ていきませんが、要するにカナダでは特定の部門では法的枠組みとしてWCAG 2.1に取り組む必要がある、ということになっているそうです。

さて、そういう法的枠組みがあってもなお、善意(Good Will)という単語が冒頭のBarrier Free Canadaの記事(今年9月に書かれている)で出てくるのは興味深いところではあります。

Yet, despite these legal frameworks, adherence to accessibility standards often feels like a voluntary gesture rather than a legal obligation.

ということが記事では書かれていますが「法的な義務というよりかは自発的な行為に感じられる」というのは、日本でも往々にして見られる光景ではないでしょうか…?

障害者差別解消法でもって、合理的配慮(reasonable accommodation、合理的調整とも)の前段としての環境の整備があり、ウェブアクセシビリティは環境の整備として位置付けらています。環境の整備は法的には努力義務であるわけですが、ごく一部の熱心な日本の民間企業が、この努力義務に基づいて積極的にウェブアクセシビリティに取り組んでいる現状になっているとわたしは捉えています。

記事の続きのThe Role of Good Willのセクションでは、次のように書かれています。

Good will certainly plays a significant role in the accessibility landscape. Many companies go above and beyond compliance because they genuinely care about inclusivity. They understand that accessibility is not just a legal requirement but a moral imperative. This altruistic approach can lead to pioneering innovations that benefit all users, not just those with disabilities.

However, the reliance on good will alone is problematic. It means that the level of accessibility a person experiences can vary greatly depending on a company’s individual commitment. This inconsistency can result in a patchwork of accessibility measures, where the quality of access is contingent upon the company’s internal values rather than a standardized legal requirement.

かなりの意訳が入ってますが、こんな感じでしょうか。

善意がアクセシビリティでは重要な役割を果たしており、企業は包括性(インクルーシブ)を気にかけていることからコンプライアンスを超えて行動をしています。そのような企業は、アクセシビリティが法的な義務だけではなく道義的な義務もあることをわかっており、この利他的なアプローチが、障害者だけでなくすべてのユーザーに利益をもたらすイノベーションにつながる可能性があるでしょう。

しかし、善意だけに頼ることには問題があって、つまるところはアクセシビリティ視点でのユーザー体験は個々の企業の取り組み次第になってしまいます。社会全体で見たときに、あるところではアクセシビリティがある程度担保されているものの、別のところではまったくといっていいほど担保されていないという状況になってしまいます。これは、法的な要件がないからにほかなりません。

というのはまあ、日本の今の状況にほかならないかなと。限られた一部のアクセシビリティの熱心な企業、あるいはウェブ制作に携わる人が、ボトムアップ的にアクセシビリティに取り組んではいるものの、社会全体で俯瞰したときに必ずしも好ましい状況にあるとはいえないのではないでしょうか。

建物のバリアフリーでたとえていうなら、車いすのユーザーが、エレベーターの備え付けられている商業施設だから、その店を選んでいるというのが現状です。そうではなく、どの商業施設も最低限エレベーターが備え付けられていて、その人個人の好みで店を選ぶのが健全な状況ではないでしょうか?だからこそ、最低限商業施設にはエレベーターを備え付けましょうというわけです(実際、特定の建物にはエレベーターがなければならないと日本では法律で決められています)。しかし、ウェブアクセシビリティを最低限こうしましょうという、建物のバリアフリーと対になるような法律は日本ではありません。

もしも、あまたのウェブサイト上で提供されているサービスの中からウェブアクセシビリティとしてマシだという理由で、そのサービスを選んでいるしたら、それは果たして健全といえるのでしょうか。点在する善意によるウェブアクセシビリティの取り組みに頼り過ぎではないでしょうか?

もちろん、法律がすべてを解決するとは思いませんが、技術的に(WCAG 2を基準とするような)ウェブアクセシビリティを強制させる法律がないことから、WCAG 2に取り組まないことがコンプライアンス上の問題にすらならないわけです(WCAG 2でよいのか?という話もあるかもしれませんが、それはさておくとして)。

…というような趣旨のことを、わたしはここ数年ずっと言っているんですけれども。ウェブアクセシビリティに取り組んでいる、ウェブ制作に携わってる人に対して共感を得られているかというと、感触として怪しいんですよね…まあわたしの力不足なだけなのですが。

さておき、ウェブアクセシビリティがわかるウェブ制作者を増やすという観点でも、現場のボトムアップだけでは足りなくて社会的なトップダウンでもやっていく必要がありますよね、ということは今後も飽きずに言及していきたいと思います。