書籍『障害者権利条約の初回対日審査: 総括所見の分析』にみるウェブアクセシビリティ

障害者権利条約 総括所見の解説書(日本障害フォーラム) - 福祉新聞Webをたまたま知って*1、これに類する書籍はないかと「総括所見」で検索をかけたところ、障害者権利条約の初回対日審査 : 総括所見の分析(リンク先はNDLサーチ)という本があることを知りました。

NDLサーチにあるように、本書では情報アクセシビリティの章(第7章)が設けられています。都下では都立中央図書館に収蔵されており、さくっと目を通したのでその感想を、というのがこの記事のあらましです。

本書の見どころはいろいろとあるのですが、第7章には「3 情報・通信に関する法的拘束力のある基準の整備について」が興味のあるところではあります。これに関して、総括所見のパラ46(a)は、次を勧告しています*2

ウェブサイト、テレビジョン番組、その他メディア様式で公衆に提供される情報の利用の容易さ(アクセシビリティ)確保のために、あらゆる段階における法的拘束力のある情報及び通信の基準を開発整備すること。

ここからは、「2 ウェブサイトのアクセシビリティについて」(p.111-113)に絞って、引用しつつ眺めてみます。

この指針(引用者注: JIS X 8341-3:2016のこと)では、3つの適合レベル(レベルA、レベルAA、レベルAAA)があり、適合レベルごとに満たすべき達成基準が定められている。(中略)公共機関に対してレベルAAを推奨しており、企業のサイトにはA、またはAAの一部に準拠することを求めている。

「公共機関に対してレベルAAを推奨しており」というのはみんなの公共サイト運用ガイドラインのことを暗に指していると思われます(もっとも、みんなの公共サイト運用ガイドラインにはレベルAAを推奨とは書いていないわけですが*3)。なぜかはわかりませんが、みんなの公共サイト運用ガイドラインの話が第7章のどこにも記載されておらず、筆者としては首をかしげざるを得ません。

総括所見ではパラ6で「公共政策枠組みの設置のためにとられた措置を歓迎する。」とあり、その1つにみんなの公共サイト運用ガイドラインがきちんと記載されているわけです(もっとも、みんなの公共サイト運用ガイドラインに対して筆者も思うところはありますが)。本書が「総括所見の分析」をタイトルに掲げているわけであり、内容の詳細に踏み込むとまではいかないにしろ、みんなの公共サイト運用ガイドラインが存在していることに言及してもよいでしょう。後述しますが、デジタル庁のウェブアクセシビリティ導入ガイドブックには本書では言及しているだけに、片手落ち感が否めません。

そして、「企業のサイトにはA、またはAAの一部に準拠することを求めている」というのは一体いつ、どこで、誰が決めたのでしょうか…。往々にして筆者はそのような文書を知りません*4。そのような文書が存在しない以上、本書の現状分析に疑問を抱かざるを得ません。

しかし、問題は、このルールがあくまでガイドラインであり、何らの強制力を持たないことである。一部の意識の高い公共団体などは、積極的にこの指針に従ったウェブサイトの整備を進めているが、特に民間企業では、この指針に準拠しないウェブサイトを公開している場合が少なくない。

ここで唐突に「ガイドライン」という語が出てきて戸惑いを覚えますが、これはおそらく「指針」、すなわちJIS X 8341-3:2016のことを指すのでしょう。法令でJIS X 8341-3が引用されていない以上、任意規格にしか過ぎないのですから、当然といえば当然ではあります。

このような現状を踏まえ、権利委員会は、ウェブサイトのアクセシビリティを確保するためには、法的拘束力のあるウェブサイトの標準規格を策定することが必要だと勧告するのである。

冒頭にも記載した外務省仮訳によれば、「法的拘束力のある情報及び通信の基準を開発整備すること。」を求めているのであって、「ウェブサイトの標準規格を策定することが必要」とは言っていません。これは誤りでしょう。

念のため英文も見てみましょう。パラ46(a)は、

Develop legally binding information and communication standards at all levels to ensure the accessibility of information provided to the public, including on websites, on television and in other media formats;

と、standardという語が使われており、(JISのような)規格のことを言っているかのように見えるかもしれません。しかし、たとえばパラ5(e)では、

外務省仮訳:

施設及びサービス等の利用の容易さ(アクセシビリティ基準を促進した高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律バリアフリー法)の改正(2018年及び2020年)

英文:

Act on Promotion of Smooth Movement of Older Persons and Disabled Persons (Barrier-free Law), amended in 2018 and 2020, promoting accessibility standards;

のようになっています。これはバリアフリー法のもとにある、公共交通施設や建築物等のバリアフリー基準のことを指しているはずです。つまり、ウェブサイトを含む情報分野に関して、バリアフリー法と対になるような法令を整えよ、というのが勧告の趣旨のはずです。

もっとも、本書の続きの段落では米国の508条やADAを挙げつつ(そして残念ながら欧州の動きには触れられることなく)、

このように、我が国においても、ウェブサイトのアクセシビリティの確保を、サイト制作者の任意の取り組みに任せるだけではなく、一定の強制力のあるルール作りを国全体として進めていかなければならないと考える。

と述べており、誤った解釈しているわけではないとは思いますが…。

本書では、「2 ウェブサイトのアクセシビリティについて」の最後の話題として、JISとWCAGについて言及しています*5

WCAG2.0が策定された後の技術革新や社会の変化に合わせ、2018年にWCAGは2.1に改定され、2023年中にはWCAG2.2が公開されるといわれている(2023年9月時点では、勧告案の段階である)。WCAG2.0では、スマートホンなどの機器からウェブサイトにアクセスする場合のアクセシビリティの確保、ロービジョンや認知障害を対象とするアクセシビリティの確保などが不十分であり、WCAGの新しい版ではこれらが付け加えられている(これら最新の規格を踏まえて網羅的にウェブサイトのアクセシビリティについてまとめられたものとして、デジタル庁の「ウェブアクセシビリティ導入ガイドブック」(中略)がある)。

まず、WCAG 2.0でロービジョン、認知障害に対するアクセシビリティの確保が不十分という認識が必ずしも正確ではないということを述べておく必要があるでしょう。WCAG 2.0(日本語訳)の概要には次のように記載されています。

Web Content Accessibility Guidelines (WCAG) 2.0 は、ウェブコンテンツをよりアクセシブルにするための広範囲に及ぶ推奨事項を網羅している。 このガイドラインに従うことで、全盲又はロービジョン、ろう又は難聴、学習障害認知障害、運動制限、発話困難、光感受性発作及びこれらの組合せ等を含んだ、様々な障害のある人に対して、コンテンツをアクセシブルにすることができる。又、このガイドラインに従うと、多くの場合、ほとんどの利用者にとってウェブコンテンツがより使いやすくなる。

WCAG 2.0でロービジョンや認知障害のことをまったく考えていないわけではないことは、はっきりと言及しておきたいと思います。

さて、WCAG 2.1(日本語訳)のWCAG 2.0 との比較では次のように記載されています。

WCAG 2.1 は、認知又は学習障害のある利用者、ロービジョンの利用者、及びモバイルデバイス上の障害のある利用者という三つの主要なグループに対するアクセシビリティのガイダンスを改善することを目的に開始された。

WCAG 2.1は、WCAG 2.0に達成基準を追加することで、認知障害、ロービジョン、モバイルという3つのグループへの対応の強化をしています。2023年10月に発行されたWCAG 2.2も、2.1と同様の流れを汲んでいます。

WCAG 2.0が勧告されたのは2008年のことであり、スマートフォンのエポックメイキングともいえる初代iPhoneが発売されたのは2007年*6のことでしたから、その意味ではモバイル対応は確かに不十分かもしれません。ただし、AppleヒューマンインターフェイスガイドラインGoogleMaterial Designというような、スマートフォンも対象としたデザインのガイドラインを出しています。これらに従うことで、技術的にはWCAGに頼らずともアクセシビリティを一定程度確保することができます。

そして、WCAG 2.0は依然として有効な技術文書であります。WCAG 2.1や2.2に追随することは望ましいですが、WCAG 2.0だから不十分という話の組み立て方は同意しがたいところです。もちろん、最新の技術文書を使うべし、というのには大いに同意するところではあります。

それから、ウェブアクセシビリティ導入ガイドブックは「最新の規格を踏まえて網羅的にウェブサイトのアクセシビリティについてまとめられたもの」ではないことを付け加えておきましょう。ウェブアクセシビリティ導入ガイドブック自身が

なお、本資料は、基礎を理解するためのわかりやすさを重視しています。そのため、記載の厳密な正確性や網羅性を担保していません。

と述べているとおりであり、またこのガイドブックではWCAG 2.1や2.2に触れているものの、あくまでJIS X 8341-3:2016をベースに話を進めています。

最後に、本書の「2 ウェブサイトのアクセシビリティについて」は次の段落で締めくくられています。

今後、我が国においてウェブサイトについて法的拘束力のある基準を策定する場合、現行のJIS X 8341-3では十分に対応できない状況を踏まえ、これをそのまま法的拘束力のある規範に「格上げ」するのではなく、上記のWCAG2.1ないしWCAG2.2に準拠した内容とする必要があることを強調したい。

いろいろなことはありますが、端的にはJISがWCAG 2.2を取り込むような改正すればいいだけの話ですよね…?ということは、JIS X 8341-3:2016の原案作成団体である、ウェブアクセシビリティ基盤委員会に関わっている人間として申し上げておきましょう。


このように、大筋では「だいたいあっている」のですが、細かいところに疑念を抱く箇所がいくつか見られました。ちなみに、この章の著者である大胡田誠氏は弁護士という肩書きで執筆されています。氏のプロフィールでは全盲であることが記載されており、障害当事者という立場でもおられます。また、コラムでは、対日審査に参加されたことも記されています。

対日審査に参加されるようなキーパーソンが、ウェブアクセシビリティに関して細かいところで正確さに欠ける言及をされていることは残念ではあると同時に、不安を覚えるところではあります。その一方で、文章からウェブアクセシビリティについて現状に不満を抱かれていることは伝わってくるものがあり、その意味ではウェブアクセシビリティに携わっている筆者の立場として、おおいに理解できるところではあります。

しかしながら、とくに技術的な観点で、正確とは言いがたい認識のもとで適切ではないルールづくりが進められてしまうのであれば、不幸な結果をもたらすことにつながりかねません。ウェブアクセシビリティ業界がしっかりと障害当事者団体にアプローチしていく必要があるのではないかと感じているところではあります、といったところで筆を置きたいと思います。

*1:もちろんJDFの冊子も入手しました

*2:以下、日本語訳は外務省の障害者権利条約のページにある総括所見の和文仮訳によります

*3:要約ともいえる「みんなの公共サイト運用ガイドライン」についてでは、ポイントとして「速やかにウェブアクセシビリティ方針を策定・公開し、2017年度末までにJIS X 8341-3の適合レベルAAに準拠する。」としています

*4:ただし、国交省バリアフリー整備ガイドラインは標準的な整備内容として、みんなの公共サイト運用ガイドラインを参照しつつ、レベルAAに準拠することを基本としています

*5:「WCAG2.1」や「WCAG2.2」とスペースなしで記述されているのは原文ママです

*6:iPhone - Wikipedia